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English Guide

改めて当社の存在意味を問う

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1970年前後に私は大学で建築を学んだ。当時はメタボリズムの中で住宅を量産する必要があり、分かりやすく言えばコンクリートによる建築物や住宅の設計が潮流であった。

社会に出た頃、仕事先の2人の先輩からこう言われた事がある。

  • 装飾は罪悪だ
  • デザイナーがコレクターになってはいけない

どちらも団塊世代の先輩だが、明らかに当時の潮流を目指した意匠設計を意識した話である。つまりこうした言い回しで無味乾燥な設計を肯定していた。そのお陰で装飾や木造の家造り、周辺環境や外部デザインに疎い一級建築士をさらに世に生み出した。今の私から見れば、それはただ建築士の名を借りた自己満足の創作であり、住環境を無視した設計であったと言わざるを得ない。

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意外にもアメリカでは住宅デザインにおいて建築士はあまり個性をアピールしない。また顧客もそれを求めない。住宅デザインはヨーロッパに原形があり、それぞれの地域で認められた意匠を、アメリカへ持ち込んだ。その人達は主に木材を用いて忠実にそれを再現した。

そもそも長い年月人が認めてきた意匠に短時間で勝る意匠など、あるわけ無いとやる価値は感じないのだ。力を入れるとしたら、主に下記に関する内容であった。

  • コミュニティ・センター(維持管理費を収集し、美観維持の命令を出すいわゆる管理組合)のデザイン
  • 高齢者ケアのための運営システム(例えば病院との連係であったり、小学校での一日講師など)に適応させた集合住宅設計
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私も毎年の視察でアメリカの設計事務所からそれらを学び日本で実践した。しかし、個人的な事情で10年間デザインから離れていたが、デザインして行く大切さと意識は高まっていった。東京に戻ったことをきっかけに、あらためて当社の存在意味を自問すれば、「家との関係、敷地や周辺環境を含むデザインの提案だと認識する。

ただし、住環境はユーザーにより、時勢に応じて変わるものである。つまり普遍的な価値に基づくものと、個人的に変化する価値に基づくものとの双方を軸として考え提案していきたいと思っている。そんな視点で住環境に答えと提案を示す事を繰り返し、更なる次元に昇華させることができればこの上ない事だ。

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最近地方から東京に戻りバイナルの営業活動や意匠設計の作業をを見聞きして驚くのは画像の情報の多さ。そしてお客様から「こんなのどうですかね?」と、何枚もの画像を見せられるようだ。そうした打ち合わせでは言葉を選びながら、そのお客様はパーツにだけ目がいっている人なのか、当社の望む提案すべきユーザーになり得る方なのか、或いはこちらが教わるべき方なのか、ある程度お話を続ければ分かってくるようだ。現地に伺った時、実測は1時間弱、上記を元にした打ち合わせは更に時間を要する。

それでも建築士が学んでこなかった事をアメリカで学び仕事にしてきた自負もあり、ご使用になられてお客様に喜んでいただきたい、そんなデザイン作業=仕事をしていきたいと思っている。